「托鉢僧侶たちよ、間違った物の見かたをする人の、その見かたに沿った体、言葉、心による行い、意図、目的、願い、決心は何であっても、全て好ましくない事、望まれない事、不快な事、害、そして苦悩を引き起こします。 どうしてでしょうか。 なぜなら物の見かたが悪いからです。 例えばニームの種やヒョウタンの種やニガウリの種を湿った土に植えたとします。その種からは、土と水から吸収する栄養素が何であっても苦くて、酸っぱくておいしくない実ができます。 どうしてでしょうか。 なぜなら種が悪いからです。 同じ様に、間違った物の見かたをする人の、その見かたに沿った体、言葉、心による行い、意図、目的、願い、決心は何であっても、全て好ましくない事、望まれない事、不快な事、害、そして苦悩を引き起こします。 どうしてでしょうか。 なぜなら物の見かたが悪いからです。」 315 「托鉢僧侶たちよ、良い物の見かたをする人の、その見かたに沿った体、言葉、心による行い、意図、目的、願い、決心は何であっても、全て好ましい事、望まれる事、快い事、有益な事、心地良い事を引き起こします。 どうしてでしょうか。 なぜなら物の見かたが良いからです。」 例えばサトウキビの種や良質の稲の種やブドウの種を湿った土に植えたとします。その種からは、土と水から吸収する栄養素が何であっても甘くて、味が良くておいしい実ができます。 どうしてでしょうか。 なぜなら種が良いからです。 同じ様に、良い物の見かたをする人の、その見かたに沿った体、言葉、心による行い、意図、目的、願い、決心は何であっても、全て好ましい事、望まれる事、快い事、有益な事、心地良い事を引き起こします。 どうしてでしょうか。 なぜなら物の見かたが良いからです。」 第二十六 一つのもの(第三)(一法品) 316